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ぼくの中の阪神大震災がひとつ終わりました

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15年と3ヵ月。183回にわたり書き続けてきた、神戸の海の連載が終了しました。
紙面をリニューアルしたいという出版元のご意向に沿って、淡々と終わりました。

なぜ、ぼくがこの紙面で書き続けてきたのか、その背景を書きたいと思います。

阪神淡路大震災の前に元々、ここの出版元とは、仕事で情報誌を一緒に制作していました。
95年1月17日に阪神淡路大震災の発生で、出版元の入居しているビルが全壊。
ぼくも仕事で避難所の運営や倒壊家屋の調査へ。
それから40日が経った頃に、
「避難所も含めて、文化情報や施設の復旧状況などを届けられるようにしようや」ということで
呼び戻されて、企画にかかりました。

再開にあたっては、体裁も内容もすべて変えた上での複数社からの提案を受けるコンペ方式を採用。
社屋が全壊し、編集者も避難所にいる同社には厳しい状況だったでしょうね。

まだ30歳になったばかりのぼくは個人的には悩みましたが、
状況を考えると止むを得ないことでした。
結果は、他社に。
結果をお伝えする際に、
「もし再度、独自で情報誌を出されることがあれば、個人的にお役に立てるならなんでもしますよ」
とお伝えしましたが、そうした機会があることを心から願っていました。

平成8年になると、出版元は「神戸グー」誌を創刊。
立ち上がるその姿に、少しほっとしたことを覚えています。

平成9年に入ったまだ冬の寒い日に、出版元からぼくに連絡がありました。
「神戸の海を紙面で紹介したいのですが・・・」

当然、以前お伝えしているとおり、ご協力をすることでお役に立つのであればと、
何も聞かずに2つ返事で了解をして、本日にまで至っていました。

そして、先月、出版元から連絡があり、
7月号から誌面リニューアルを行う中で、誌面構成を考えると
連載を終えることは可能だろうか、と打診がありました。

そもそも、なぜ連載を継続してきたのか、という理由が、出版元の力になれれば、ということでしたので
「ありがとうございました」という言葉に、ああボクの役割が終わったのか、という思いで
「わかりました」とだけ答えました。

昨日、掲載紙が届きました。

誌面を手にすると、いいようのない気持ちになりました。
すごく不思議な気持ちでした。

ぼくの中で、あの阪神大震災がひとつ終わった、ということとともに
想像もしていなかった寂しさが胸に広がりました。
こんなセンチメンタルな気持ちになるとは、自分でも意外でした。

あまり、ほっとした気持ちにならなかったのが、さらに不思議な感覚でした。

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コメント

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。

投稿: 添え状の書き方 | 2012年6月 5日 (火) 11時00分

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